連載エッセイ

音楽を聴いて過去の記憶を追体験した出来事

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「パソコン作業をしながら」「勉強をしながら」「家事をしながら」など、日常生活の中で音楽を聴く場面はいろいろとあるが、中には「外出中に外を歩きながらイヤホンで音楽を聴く」という人もいるだろう。

実際のところ、この「歩きながら音楽を聴く」ということは、危ないのも事実だし、あまりやらないほうが良いことかもしれないが、数年前、私は一人で外を歩いている時や電車・バスで移動する時に、よくイヤホンで音楽を聴いていた時期があった。

はじめは、音楽を流すことで外の音が聞こえづらくなる感覚がちょっと恐ろしく、どこかビクビクしながら音楽を聴いていたのだが、次第に慣れてくると怖くはなくなったし、外の音や周囲の様子にも適度に注意を払っていたので一度も事故に遭ったことはなかった。

しかし、ここまで読んで、「なぜ怖い思いをしてまでわざわざイヤホンで音楽を聴き始めたのか?」と、不思議に思う人もいるかもしれない。

なんて言うことはないのだが、その理由が何かと言うと、単に「ひとり歩きの時間を快適にしたかった」からだ。

そしてもう一つ、イヤホンを使って音を聴くのなら「音楽ついでに、移動中に英単語のCDの音源を流してスキマ時間に勉強したい」と思ったのも理由の一つである。

とは言え、実のところ、英単語の勉強は移動中にイヤホンで聴いてもたいして身にならなかったのだが、外で音楽を聴くのはとても快適だった。

それは、特に「朝の通勤時間」で効果を発揮した。

今は個人事業主である私も、数年前まではオフィスワークをしていて、職場まで電車と徒歩で通勤していたので、通勤途中で音楽をいつも聴いていたのである。

朝の通勤時間は何かと憂鬱ものだ。

ラッシュの満員電車で通勤することには慣れていたものの、体はだるいし、これから仕事に行くと思うと気分も重い。

朝の通勤時間は、1日の中で最も気鬱になる時間だった。

しかし、そんな通勤時間を少しでも快適にやり過ごし、仕事に行くモチベーションを上げようと、私は通勤途中に音楽を聴いていたのである。

「音楽」と言っても、ランダムにいろいろな曲を流していた訳ではなく、聴く曲はほぼ決まっていて、自分の好きな曲で聴いていてリラックスできるものばかりを聴いていた。

まずは当たり障りのないヒーリングミュージックから始まり、後半になるとポップ・ミュージックに移っていく。

そしてその曲のリストは、日が経つごとに同じものに固定されるようになり、さらには再生する順番までもが毎日同じように決められていった。

というのは、そのやり方が一番自分にとって心地よく感じられたからだが、さらに言うと、「通勤電車に乗る頃に聴き始めて、会社の入口の手前くらいに着いた時に、最後の曲を再生し終わる」という流れになるように調整していたからだ。

なぜなら、通勤時間の中でも一番気が重いのは、「職場の最寄り駅から会社まで歩く5~10分ほどの間」だったので、それまではしっとりと美しいバラードなどを中心に聴き、会社に向かって歩く最も憂鬱な時間には、気分が前向きになって盛り上がるクライマックス的な曲を聴くようにしていたのである。

それによって私は、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車の中でも、雨や雪の通勤路を歩く時でも、音楽に耳を傾けながらその曲たちに癒やされ、憂鬱でかったるいばかりの通勤時間をちょっとだけ心地よいものにすることができたのだ。

そんな、毎朝同じ曲を聴きながら通勤するスタイルは、数ヶ月続いた。

だが、当時休日を除いて毎日聴いていたそれらの曲たちも、フリーランスになってからは聴くことがなくなり、4年ほど離れた状態にあった。

そして、先日、再び聴きたくなって実に数年ぶりにそれらの曲を聴いてみたところ、意外なことが起こったのである。

それが何かと言うと、いわゆる「メンタルタイムトラベル」と言われている状態だ。

つまり、「以前よく通勤途中でよく聴いていた曲を久しぶりに聴いてみたら、まるで追体験しているかのように当時の記憶が鮮明によみがえってきた」という体験をしたのである。

それは、本当に「過去を追体験したようにリアルさ」を伴う体験で、自分でもいささか驚いた。

それに近い経験は今までもなくはなかったが、ここまでリアルに過去の記憶がよみがえった経験は初めてだったのだ。

しかし、「同じ場所・同じ場面で毎日聴き続けていた」曲だったので、考えてみれば、曲とそれを聴いていた時の記憶がセットになった状態で思い起こすことになっても不思議なことではないだろう。

ちなみに、当時通勤途中で聴いていた曲の中で、もっとも鮮明な記憶がよみがえってきたのは、いつも会社までの通勤路を歩く時に聴いていた、リストの一番最後にあたる曲である。

曲を聴きながら、こんな情景を思い出した。

駅の改札を出て階段を降りて駅前の路地に出る。

まっすぐ歩いて駅前のスーパーを通り過ぎ、個人商店が立ち並ぶ商店街を通って会社まで歩いていく私。

歩きながら、道の途中に貼ってある選挙ポスターや、まだ営業前のシャッターが閉まった商店が目線に入ってくる。

耳に流れる音楽のリズミカルな曲調とともに、淡々と会社のあるビルに向かって歩を進める。

朝の憂鬱さも、イヤホンから聞こえる歌声でだんだんと中和されていくのが分かる。

季節は冬で空気は冷たいが、ふと見上げた目に映る青空がすがすがしく、晴れた冬の朝の澄んだ空気が気持ち良い。

そうしているうちにオフィスビルが見えてきて、脇道を通って入口に向かっていく。

そんな風に、歩きながら見た風景やその時に感じたことが、その曲を聴きながら不思議と目の前によみがえってきたのだ。

しかし、それは「思い出」というような楽しい記憶でもなく、ただ駅から会社までの道のりを歩く時の地味な記憶である。

こんなことでもなければ取り立てて思い出すこともなかっただろう。

だが、その「何ということもない」はずの記憶は、意外にも、今の私に一種の「癒し」のようなものを与えてくれたことに気が付いた。

おそらく、その曲を最近聞き直した時の私は、落ち込んでいてあまり元気ではなかったからだろう。

その曲を聴いて当時のことを思い出した時、過去の自分にどこか励まされたような気持ちになったのである。

小さな工夫で心地よい時間をつくりながら、淡々と毎日を乗り切っていた当時の自分が、何となく誇らしように、愛しいように感じられたのだ。

しかし、何年か後になって、まさかこんな気持ちでその時のことを思い返そうとは、当時の私は思いもしなかっただろう。

今の私も、当時の記憶を追体験して、こんなことを思う自分に少なからず驚いている。

過去の自分のに、こんな風に励まされることがあるのだと。

そして、「音楽にはこんな体験を運んでくれるという良さもあるんだな」としみじみと思う。

さらには、もしかしたら今回体験したメンタルタイムトラベルのように、「今私が過ごしている日常が少し先の自分に何かの形でつながってくることがあるのだろうか?」などと思いながら、今日も私は何でもないいつもの日常を淡々と過ごしている。

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  • この記事を書いた人

ミヤノ カナコ

ブログ運営歴5年目のブロガー・フリーランスライター。OL時代には、多くのカスタマーセンターやヘルプデスクでメール・電話での問い合わせ対応に従事。現在は、ブログでの情報提供のほか、エッセイの発信を中心に活動中。このブログでは、ブログのつくり方や文章の書き方など、ネットビジネスに役立つ情報をお届けします。

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