連載エッセイ

「将来の夢」と「現実」について私が今思うこと

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誰しも子どもの頃には、「将来の夢」があったことと思う。

それは「警察官」や「教師」「パン屋さん」のような身近な職業のこともあるだろうが、「プロ野球選手」「女優」のような実現するには難しい職業に憧れることもあるだろう。

たとえそれがどんな職業だっとしても、夢を抱くのは自由だ。

しかし、後者の「プロ野球選手」ような職業は、「『才能がある一握りの人』しかなれないもの」と、そうなりたい願望はあっても、具体的に努力をする前に諦めてしまうことがほとんどではないだろうか。

私もそんな経験をしたことがあるので、ここでは「将来の夢」について思うことを書いてみたいと思う。

私は、昔から何かしらの「将来の夢」をいつも心に描いていた。

たとえば、記憶にある一番若い頃まで遡ってみると、小学校の高学年頃には「漫画家」に憧れ、中学生の時には「小説家」や「シナリオライター」を意識するようになった。

その当時の私は、漫画チックな絵を書くのが好きだったし、空想したり想像したりするのも好きだったので、小説のプロットを考えたり、セリフとト書きで構成したシナリオ風の物語を作ったりして楽しんでいたのである。

と言っても、やっていたことはちょっとした趣味程度に過ぎなかったものの、それらは少なからず「将来なりたい職業」として憧れていたのも事実だ。

高校生になると、「卒業したらシナリオライターの専門学校に行ってみたい」とちらりと考えたこともある。

しかし、そう考えていたのは、もしかすると「父の受け売り」かもしれない。

と言うのは、父は、昔シナリオライターになりたくて一時期学校に通っていたことがあったが、祖母が病気で通院することになって夢を追うのを断念したらしいのだ。

誰からその話を聞いたかすらもはっきりと覚えていないほどうろ覚えの記憶だが、それを聞いた時の私は、「父とシナリオライター」という組み合わせの意外さに驚いたことを覚えている。

一介の会社員だと思っていた父が、シナリオライターのようなクリエイティブな仕事を目指していたとは、まったく考えたこともなかったからだ。

だが、そんな背景を物語るかのように、私の部屋の本棚には、誰がなぜそこに置いたのか分からない、謎の「シナリオの書き方の指南書」が存在していた。

それは、たしかハードカバーで1ページに2段になって小さな文字が詰まっているような硬い感じの本である。

おそらく父の本であろうことは確かなので、きっと父がそこに置いたのだろう。

だが、実際のところ、父の口からは直接シナリオの「シ」の字も聞いたことはない。

なので、私もあえてその本の話を出すことはなかったが、ある時、興味本位でこっそりとその本を読んでみると、何とも面白く、何回かに分けて読み込んでしまった。

実は、それがシナリオライターに興味を持ったきっかけだ。

しかし、そんな風にシナリオに対する興味はあったものの、父のように本気でシナリオライターを職業として目指すことはなかった。

つまるところ、「そこまでの熱意や情熱はなかった」ということだが、現実的に考えても、学校に通ったところでシナリオライターとして活躍できる可能性は低いだろうし、その技術を学んだところで、それを何かに活かせるとは思えない。

なので、その後、私は普通に就職して「一般的な職業」に就き、シナリオライターへの夢はそこで終わることになる。

その後シナリオライターに対する未練を抱くこともなかった。

しかし、シナリオライターへの未練はなくても、「物書き」の仕事への執着は、心の奥にずっと残ったまま消えることがなかったのも事実だった。

事あるごとに「何か自分にできる文筆関連の仕事はないか」と考えては、「この仕事は経験がないから無理だ」「まずは勉強してスキルをつけなきゃ」などといい、「あれも無理だこれも無理だ」と断念することの繰り返しだったのだ。

だが、それほど煮え切らないことばかりだったにもかかわらず、結論から言うと、今フリーランスのブロガー・ライターとして活動している私は、最終的には「昔からの夢が叶った」と言えるのだろう。

ブログで情報提供の記事を発信し、エッセイを書き、無理くりにもそれで何とかフリーランスになってからの4年以上の生活をつないできたのだ。

さらに、今度は「小説を書いて発信しよう」と意気込んでいるところである。

そんな風に、以前は「とても遠くにある」と思っていたものが、気が付いてみれば、今は手が届くところにそれが存在している。

それは、大変喜ばしいことではあるが、何とも不思議な感覚でもある。

なぜなら、私がオフィスワークからフリーランスのライターとして転向したのは、「どうしても文筆業をしたい」という情熱や衝動から行動した訳ではなく、「体質的な理由でオフィスワークに見切りをつけた」というのが大きな理由だったからだ。

なので、「自分でそうなろうと思って行動した結果そうなった」というよりも、「回り回って、結局は収まるところに収まった」という感じだ。

「そんな風に夢が叶うこともあるんだな」と思うと、何だか「因縁」めいたものを感じる。

とは言え、「因縁」だとか「夢を叶えた」などと言っても、私は「有名ブロガー」「天才ライター」のような大層な存在ではないので、ただ大口をたたいているように聞こえるかもしれない。

しかし、それでも私は「私自身の長年の夢」が叶って今こうしていることには違いない。

ささやかな存在ながらも、「物書き」としての自分に、私は満足している。

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  • この記事を書いた人

ミヤノ カナコ

ブログ運営歴5年目のブロガー・フリーランスライター。OL時代には、多くのカスタマーセンターやヘルプデスクでメール・電話での問い合わせ対応に従事。現在は、ブログでの情報提供のほか、エッセイの発信を中心に活動中。このブログでは、ブログのつくり方や文章の書き方など、ネットビジネスに役立つ情報をお届けします。

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